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ユッキュン×南波一海スペシャルインタビュー

電少の不定期公演などでも共演の多い音楽ライター南波一海氏によるユッキュンのロングインタビュー。幼少期のことから、音楽からの影響、電少のこれからのことなどを語りつくす。

(収録2020/11/04発売「【CQ#200 映画史】公式パンフレット」

南波一海「それではせっかくのソロでのロングインタビューということなので、幼少時のことから聞いていきましょうかね。昔からユッキュンはユッキュンなんですか? というのはほらYouTubeにでんぱ組inc.の『W.W.D』を一人で歌って踊っている高校生の頃の動画があって、あの頃にはもうアイドルとかに興味があったの?」

 

ユッキュン「高校三年の文化祭ですね。懐かしい……高校の頃ってカラオケが自分のステージだったんです。カラオケってみんなが知ってる歌を歌わないといけないみたいなのあるじゃないですか。でも自分の好きな歌を歌いたかったので、せめて踊り付きなら知らない曲も楽しんでもらえるだろうと思って、カラオケ行く予定が決まると踊りも練習して披露してました。あの頃はアイドルになりたいとかは別に思っていなくて、ただアイドルが好きでした。モーニング娘。が流行っていた時も勿論好きだったし、小6の時に『ポリリズム』が出たPerfumeも大好きだったけど、はっきりアイドルにハマったのは中学2年生の頃にモーニング娘。の『泣いちゃうかも』の亀井絵里さんを見たときですね。その後いわゆるアイドル戦国時代が来て、でんぱ組.incさんとか、ハロプロ以外のアイドルもどんどん聴くようになりました。」

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----------"歌姫と呼ばれる人々のことは生まれた時から好きで"

南波「浜崎あゆみも好きですよね」

 

ユッキュン「そうですね、歌姫と呼ばれる人々のことは生まれた時から好きで、特に浜崎あゆみさんは別格です。私の音楽の原体験はカーステレオであゆとか宇多田ヒカルとかEvery Little Thingが流されていたのと、岡山のしょぼいスカパーみたいなので見れたスペースシャワーTVやMTVなんです。スペシャやMTVの邦楽ヒットチャート100っていう番組を幼稚園の頃からずーっと見てました。そのMVには歌詞も表示されていたので、色んな歌を覚えて家の中で歌っていましたね。そのヒットチャートで1位になれるような大ヒット曲が100位圏外になるまでには何年もかかるんです。それを毎週見てたから2000年代のヒットソングはほとんど頭に入っているんです(笑)」

 

南波「小さい頃から歌ったりするのはすごく好きなんですね」

 

ユッキュン「ずっと好きで。あと、やってたって言えないくらい全く弾けないですが、一応ピアノもやっていました。毎週土曜日の17時からレッスンで、土曜の15時半くらいから”今週も練習ができていない!”ってうじうじしていました。でもそこに先生の娘の少女漫画ばかりの本棚があって、それを借りて読むのが楽しみでした。練習は毎週足りないけど、借りたマンガは必ず読んで行ってた」

 

南波「岡山のどんなところで暮らしていたんですか」

 

ユッキュン「岡山の中心部に出やすい比較的都会なところですね。だからド田舎エピソードも特にないんです」

 

南波「小学生の頃から目立ってた?」

 

ユッキュン「多分目立ってたとは思います。ただ、ルールを破ったり怒られたりするような目立ち方をしたことはなくて、人前に出る機会とかはあったら逃さないって感じでしたね。今とやっていることはあんまり変わらないです。4歳の時に劇をやって、僕は何人かいるカエルの役の一人で、皆でぴょんぴょん跳ぶ練習をしていたのに、本番で突然一人だけ平泳ぎをしたらしいんですよ。でもその時の自分の考えってわかりますね。本番で今一番面白いことを思いついてしまったらもうやるしかなかったんでしょうね」

 

南波「規則に反することはしなかったとはいえ、周りからはちょっと変わっている子という感じには思われていたと」

 

ユッキュン「そうですね。男子とは共通の話題がなかったから、友達はずっと女の子しかいなかったし。だから小中学生の時は“オカマ”“お前は男じゃない”とかよく言われてました。でも一度も自分を曲げることはなかったですね。早くバカのいない世界に行きたかった。小学3年生の時にクラスの男の子に”オカマ”って言われて泣いたことがあって、その男の子が謝ってきて、先生たちも”反省しているから許してあげて”みたいな空気になったんですけど、”いや、待って”って思って。”そういうことじゃないし。謝られて許すようなことじゃ怒らないんで……”って思って、”一生言わないって言ってもらっていいですか?”ってお願いしたんですよ」

 

南波「すごい!(笑)」

 

ユッキュン「その男の子に三年後くらいに、その話をされたことがあって、”ああこの男の子に深い爪痕残せてたんだ”って思いました(笑)。むやみに人を傷つけてしまう前に一人の人間を救えたと思います」

 

南波「彼はその後の人生において、そういうことで人を傷つけることはないはずですね」

 

ユッキュン「だといいですね。バカにする理由があっても、その人を傷つけていい理由なんてどこにもない。まず人は誰と仲良くしていてもいいし、何が好きでもいいし、歩き方が人と違っても何でもどうでもいい。自分が誰にも迷惑をかけていないことは明白だったので、間違ってないと思うことは貫きたいと子供の頃から考えていたんだと思います。とにかく体育の授業が嫌だった」

 

南波「じゃあ運動会は……」

 

ユッキュン「足がまあまあ速いんですけどリレーの選手とか絶対やりたくないから隠してました。体育の授業って、着替えで男子と女子に別れるところで喋る人がいなくなって居場所なくなるし、ペアとか作れって言われても作れないし。みんなに嫌われているわけでもないけど、なんか特別扱いさせてたと思いますね」

 

南波「周りの人もユッキュンを受け入れてくれる環境ではあったんですね」

 

ユッキュン「そうですね。別に嫌われるようなこともしないし。あ!私、小学1年くらいの頃なんですけど、逆上がりと二重跳びがNGで」

 

南波「NGってなに?(笑)」

 

ユッキュン「NGっていうのは、NGです。 逆上がりも二重跳びもできることが良いとされているじゃないですか、でも絶対私には必要がないぞってわかっていた。それができたら認められるみたいな価値観に乗せられること自体が無理だから、”やらない”と決めていました。勉強については一切疑いを持たずになぜか受け入れていたんですけど、二重跳びと逆上がりに関しては、絶対自分には必要ないって確信してました」

 

南波「出来る出来ないではなく、これをやらなきゃいけないとか、決めつけみたいなことに疑問を持っているというか」

 

ユッキュン「そうそう、懐疑心が芽生えていたんだと思います。だからと言って、”こんなのおかしいです”みたいな主張をする存在でもありませんでした。”あなた方はお好きにどうぞ。自分はやりませんが……”みたいな。自由を掴み取ってました。なんか今やっていることと当時の自分って辻褄があっているんですよね」

 

南波「よくまかり通りましたよね。小学生で(笑)」

 

ユッキュン「時間が過ぎるのを待ってたんだと思います。あと勝負が嫌いでした。負けても悔しくなくて、勝っても特に喜べない。ドッヂボール大会があって、休み時間なのに“みんな外に出て練習に参加してください!”とか言うんですよ。私は図書室で嶽本野ばらさんの小説を読んでいたいのに。大会の前日になっても私が練習に参加してくれないから、クラスメイトが図書室に呼びにきたことがあって、司書の先生に匿ってもらって図書室のカウンターに隠れました。義務なわけないだろ!って思ってました。でも授業をサボる生徒ではなかったので大会だけ参加して。ボールが当たった人が脱落していくのに、逃げるの上手すぎて一人だけ残るというのが通例でした。今でも全ての球技は球から逃げるスポーツだと思っています」

 

南波「子供の頃からめちゃくちゃ面白かったんですね。小学生の男の子にありがちなアホなノリとかが合わなかった?」

 

ユッキュン「無理でしたね。プロレスごっこしたことないですね。人の体に触らないし、いじわるしないし、イタズラしないし、ヤンチャじゃないから」

------------"自分がなりたい自分になるぞっていう気迫が強い人には昔から惹かれていたと思います"

 

南波「昔から筋が通ってますね。家族や兄姉の話も聞いていいですか?」

 

ユッキュン「姉が7つ上で、兄が3つか4つ上で、今30代前半の友達が多いのは姉がいたからだと思います」

 

南波「お姉ちゃんとは仲良かった?」

 

ユッキュン「めちゃ仲良かったですね。姉はあゆが好きで。兄とはそんなに会話しないけど、仲は悪くはないと思います。二人とも穏やかで、喧嘩をしたことはないですね。というか家で誰かが怒っている姿を見たことがない。姉とは二人で会えるけど、兄とは二人で会うことはないって感じ」

 

南波「自分も兄妹がいるけど会話はそんなにないし、そういう関係ってありますよね」

 

ユッキュン「そうですね。あまり熱心な教育を受けた覚えはないんですが、両親の教育についてここ数年で気づいたのが、基準っていうか尺度?を教えてもらわなかったことですね。例えば美醜や貧富、頭が良い悪い、太ってる痩せてるとか、そういうあらゆる尺度を教えられなかったなって気づきました。家族で趣味が合う人はいなかったんですが、僕の趣味や好きなものを否定されるということは一度もありませんでした。だからこんな感じになったのかなとは思います」

 

南波「それはすごく良い環境だと思います。時系列順にいくと中学の話ですね。そのくらいになると、周りも少しずつ大人になってきて自我が出てきたりしますよね」

 

ユッキュン「うーん、まあ普通に悩んだりしてたと思います。ただ同級生については“つまんねえこと気にして生きてんな〜”って思ってたと思います。あんまり楽しくなかった。中学ってヤンキーとヤンキーに憧れている人が大半だったんですよ。でも私は面白いことだけが好きな人だから、厳しい部活は楽しかったけど、あとは窮屈でした」

 

南波「そんなに恵まれなかったんですね」

 

ユッキュン「中学校が楽しい人っているんですかね?みんな”地元サイコー”みたいなマイルドヤンキーになってるから全然ノれなくて、成人式も行きませんでした。自分は子供の頃から音楽とかの話する友達は姉以外いなくて、でも自分だけが知ってる優位性みたいな気持ちも別になくて、だからサブカル自意識みたいなのもなくて、何だったんだろうと思います」

 

南波「地方の中学生でユッキュンみたいに色々な音楽を聴いていたら、東京に憧れたり、自分は都会的なものを摂取しているんだという自意識があったりするものなのかなと思うんですが、それはなかったと」

 

ユッキュン「東京に行きたいって気持ちはその時は全然なかったですね。あと、中学の頃はギャル演歌っていうんですかね、着うた系会いたいR&Bシンガーみたいなのが流行っていて、そこらへんを網羅的に聴いていました。加藤ミリヤだけは違うって思っていました。『papyrus』って雑誌でのミリヤさんの特集タイトルが”私は誰にも似ていない”ってなっていて、でも、似てたんです(笑)。その頃出したアルバムのリード曲が『Aitai』って曲で、色々商業的な理由もあったんでしょうけど、他の会いたい歌姫たちと似てて。 でも”私は他の人と違うんだ!”っていう意識やカリスマになりたいって強迫観念みたいなものに強く惹かれて、大好きでした」

 

南波「その“ちょっとダメなところも好き”というのもある程度大人になってからの好きになり方だと思うんですよ。幼い頃はなかなかそんな風には思えないですよね」

 

ユッキュン「もちろんその頃はこんな言語化できていませんでしたけど、自分がなりたい自分になるぞっていう気迫が強い人には昔から惹かれていたと思います。板野友美さんとか。色んな音楽が好きだったけど、それを友達と共有する感じではありませんでしたね。友達のために好きな曲を入れたCDを作った時に、頼まれた曲のついでにオススメのも入れておいたら、古内東子の『返事』って曲を”あれなに(笑)”みたいに言われて、もう好きな音楽の話を人にするのはやめようと思いました」

 

南波「友達は古内東子はダメだった(笑)。高校時代はどうでした? 進路とかを考えなきゃいけなくなるじゃないですか」

 

ユッキュン「高校は県立の進学校に進みました。藤井風さんや空気階段の水川かたまりさんと同じ高校です。上京を考えたのは高二の秋くらいですね。関東の国立大学の中に、自分の学びたいことが出来そうな学科を見つけました。兄も姉も岡山内で進学していたし大丈夫なのかな……と思って母親に相談したら“父さんと話し合います”って言われて、不安だったんですが翌日にあっさりOKされました。そこから上京を意識するようになりましたね。あと高校時代は踊っていました。吹奏楽部だったんですけど、一人だけ前で踊ってました」

 

南波「楽器やりなよ!(笑)」

 

ユッキュン「新入部員勧誘で中庭でコンサートするときに、演奏の出来があんまりよくなくて、これじゃ誰にも響かないよって問題になって、本番二日前くらいに”だったら私が踊ります”って言って、AKB48の『ギンガムチェック』を踊りました」

 

南波「高校生活は友達が多かったんですね」

 

ユッキュン「そうですね、友達が多いというか、なんか有名?でした。自由な校風で、校則も髪を染めちゃいけないくらいで、自分で考えて行動しなさいみたいな感じだったから、他人に寛容な空気があったと思います。新しいに集団に入るときって、その集団が私に慣れるまでに時間がかかるので普通はその待ち時間で何ヶ月か過ぎるんですが、高校は早かったですね」

 

南波「では、中学校よりは楽しく過ごせた」

 

ユッキュン「全然楽しかったです」

 

南波「高校生の時に横浜の大学に行きたいと思ったんですよね。結果、青山学院大学に行っているわけだけど、どんな経緯だったんですか?」

 

ユッキュン「ずっと国公立大学を目指していたんですが、センター試験で失敗したんですよ。私立はあんまり考えていなかったから不安だったんですけど、運良く青学に受かったので進学することになりました。受験勉強のときはずっと『Tacata’』(MAXの2013年のヒット曲)を聴いていたので、全く集中できませんでした」

 

南波「音楽の趣味が一貫してギラついた、キャンプな感じなんですね」

 

ユッキュン「恥ずかしがらずにカッコつけている人が好きですね。あと技術力が面白にまで昇華されてしまっている人も好きですね。凄すぎて笑えてくる、みたいな」

 

南波「ハロプロも正にそうですよね。話を戻して、岡山から離れることになって東京に出ることになり。どんな思いでした?」

 

ユッキュン「そういえば上京するときの新幹線の中で倒れました。これは可愛すぎる話だけど、私は朝礼や開会式のときに貧血で倒れちゃう子だったんですよね。で、上京して、大学に入って打ち砕かれましたね……。自分より面白い人がいなくて」

 

南波「そっちの意味で打ち砕かれたかー(笑)」

 

ユッキュン「全然自信とかなかったし、東京にはもっと面白い人がたくさんいると思っていたんですけど、サークルとか見て回って、大学の中に居たらダメなんだって思いましたね」

 

南波「大学って面白い人の集まりかと思いきや、意外と普通なんですよね」

 

ユッキュン「普通でしたね。東京は面白いものがたくさんあるのに大学の中にはないんだって思って。ただ青学は立地が本当に良くて、シネマライズもイメージフォーラムもUPLINKもあるし目の前に青山ブックセンターもあって、それが大学の一番好きな部分です。第一志望に受かってたら田舎だったので」

 

南波「大学は周りの人はあまり面白くなくて、ただ映画や書店はたくさんあるのが良かったと。でもせっかく東京に出てきたのにキャンパスライフを楽しめなかったというか」

 

ユッキュン「ただ、東京は楽しんでいました。お金はなかったけど、いろんなものも見れて」

 

------------"20歳でやっと物心が芽生えた"

南波「ここまでくると結構最近の話になってきますよね。ゆっきゅんとしての活動が本格的に始まるわけですか」

 

ユッキュン「上京したら”アイドルできるんじゃね? やった方がいいんじゃね? やりたいんじゃね?”って思って。最初、大学のアイドル好きの可愛い女の子二人と一緒にユニットをやろうって進めていたんですけど、自分しか本気じゃないっていう重大な事実に気がついて、一人でやるしかないんだなと思いました。大学一年の夏に、大学の先輩だった工藤ちゃん(東京を中心に活動するシンガーソングライター)に誘われて初めてライブに出ました。その時はアイドルとかでんぱ組.incさんのカバーを歌うだけだったんですが。アイドルですって名乗るところから活動を始めました」

 

南波「ゆっきゅんと名乗り出すのもその辺り?」

 

ユッキュン「はい、2014年ですね。大教室での授業中にA4の紙にたくさん名前書いて考えました」

 

南波「それはミスiDのタイミング?」

 

ユッキュン「あ、実はミスiDは2014年に出していて書類で落ちているんです。その2年後にたぶん行けるなって思ってもう一度受けたらファイナリストまでは行けました」

 

南波「その辺になると名前が知れ渡っていきますよね」

 

ユッキュン「そうなんですかね。まだまだまだまだですが。特に2015年くらいまではふらついていたと思います。20歳でやっと物心が芽生えた。それまではあんまり文章とか書けなくて、喋っていても自分の言葉で喋っていないみたいな感じだったんです。好きなものや人だけがあって、自分の言葉というより、人の言葉を言ってるみたいな」

 

南波「それが何かしらのタイミングでカチッと切り替わった?」

 

ユッキュン「今まで自分が感じたことない得体の知れない感情とか、他人の言葉では説明しきれない気持ちになった時、それを自分の言葉で整理するしかなくて、2015年くらいに自分になった感じがあります」

 

南波「ユッキュンは社会における多様性という点でも自分の意見もしっかりあって、いわゆるオピニオンリーダー的な位置に立てる人だと思うんですよ。でも、あまり言わないようにしている?」

 

ユッキュン「そうですね。今はまだ、我慢しています。言いたいことを言おうと思えば言えるけど、出方を伺っている感じですね。不本意な褒められ方を避けたくて、色んなことに気をつけています。御意見番にならないように、とか。歌って踊ってるのが好きとか言ってることが面白いとか、出来ればそれだけで自分を見せていきたい。”可愛い”とか”面白い”とかがいいなって今は思っています」

 

南波「なるほど。話題を戻しますが、世界が広がるきっかけはミスiDを受けたことが大きかったんですか?」

 

ユッキュン「ミスiDを受けたきっかけは審査員が好きだったってのが一番大きかったと思います。その時の審査員の山戸結希さんとか、大森靖子さんとか、根本宗子さんとか、東佳苗さんとかに講評を貰えるじゃないですか、あれが欲しくて。自分がどう思われているのか。そういうのって機会がないと言ってもらえないので。その翌年には大森さんの『ドグママグマ』のMV出たり、根本さんが一人芝居書いてくれたりとか、縷縷兎夢(※東佳苗のニットブランド/現.rurumu:)も着れたし、山戸さんとも仕事できたし、ミスiD出た恩恵は根こそぎ受けたって感じですね。でもやっぱり世界が広がるという意味で大きいのは電少ですかね」

 

南波「電少はミスiDの直後くらいですよね。電少はどういう経緯で受けることになったんですか?」

 

ユッキュン「その頃大学三年生で、”今後なに?”ってなって、色々やりたいけどやり方もわかんないし、どうしたら広がるかなって思っていた時に、電少の募集要項が Twitterで回ってきて、その女の子の応募条件の最後に、”そのほか、それに全然当てはまらない人も募集”って書いてあったんです。映画好きだし、私信か……と思ってメールを送りました」

 

スタッフ長田「前も言ったかもしれないけど、本当にあれ私信だったんですよ。どういう人が欲しいのって聞かれて”ゆっきゅんみたいな唯一無二の人が理想”って言ったら、その4時間後くらいにゆっきゅんからメールがきた。まさか本当に来てくれるとは思っていなかったけど」

 

ユッキュン「私は受かると思ったオーディションを受けるのでね」

 

南波「”これだろ!”という自信があった?」

 

ユッキュン「ルアンちゃんと二人組ってのも知らなかったし、どういうことをやるのかも具体的にわからなかったけど、そろそろ一人じゃなくても何かやっていいだろうって思っていたんですよね。でもやりたくないことをやるのは苦手だから、映画とか好きなものが共通している方がいいよなって思って。あとは正直一人で何かをやっているより、このグループのメンバーですっていうものがある方が安心するんです。自分が何をしている人なのか、自分からも周りからもわからないという状況ではなくなったことも安心したと思います」